明日はどんな日か 私は知らない 晴れか嵐か 曇りになるか
 私は明日を 心配しない イエスが私を守られるから

 明日はどんな日か 私は知らない どんな道筋が 先にあるかも
 だけど私は 心配しない イエスがおられる 私のそばに

 明日は私にはわからないけど 明日を守られるイエスがおられる

これは世界中で歌われている賛美の一つです。留学時代に同じアパートに住んでいたアメリカ人の友人が、何か辛いことや行き詰ることがあると歌っていました。彼は真面目で繊細な心の持ち主でしたから、心配事が沢山あったようです。でも、いつもこの歌の歌詞が自分の原点になって励まされていたようです。気休めのように思えますが、もし、「私の将来どうなるのかは分からないけど、イエスさまが私のそばにおられて、必ず守ってくださる!」と本気で信じることができる人は、本当に心配が心配でなくなってしまいます。私もまだ完全ではありませんが、様々な所を通ってくると、「神さまは何とかしてくださる!」という信仰に立てるようになって、問題が起こっても不安感が無くなりました。プライドや自尊心の強すぎる人は、嫉妬や妬みが強くなったり、自分の失敗を受け入れることができないことによって、自分自身を逆に苦しめる結果になりかねない。自分がいつもNo.1になっていないと気が済まない人は、早く気づかねばならないと思うが、そんなものは恐らくあなたの葬儀で「この人は素晴らしい人でした」と言われるだけで、永遠の世界においては何も役に立たない。そんなものにしがみついているよりも、イエスさまにしがみついている方が、何千倍、何万倍も平安な人生が与えられる。世の称賛するほとんどを獲得したパウロは、イエスさまと出会ってから、「それらはふん土のようなものだった」と言い切っている。
“No.1”ではなく、“Only1”が、私たちが求めるべきものであろう。神さまはあなたをあなたとして創造し、あなたしか成しえない神さまの計画のためにこの地上に生をお与えになったのですから。
 「恐れるな、あなたには、神さまがついている!」