現在礼拝でマルコによる福音書を順番に学んでいますが、自分の立場や願いを叶えてくれる王を待ち望むといった間違ったメシア観を持っている弟子たちや人々に対して、イエスさまは、「私たちの人生は自己実現のためではなく、神実現のためです」と絶えず軌道修正しておられる姿を見ます。マルコ福音書には、このメッセージが一貫しているので、私の毎週のお話しの切り口が同じように聞こえるかもしれない。しかし、私のライフメッセージの一つは、この「神実現の人生を求めよ」ということなのです。しかしながら、夢や希望を持つことや、「あのようになりたい」という欲を持つことを否定しているわけではない。人間は向上心が無くなったら、活力はなくなり、輝きが失われてしまいます。「あの人のようになりたい」「この学校、会社へ就職したい」「金持ちになりたい」「こんな勉強をしたい」「こんな家庭を作りたい」・・・などの動機が何なのかが問われるのです。これらがすべて自分のためだけであるならば、いつか必ず壁に突き当たるでしょう。一時的な満足を得ることができても、それは永続しません。
 私たちは絶えず、この“神実現”と“自己実現”の狭間での戦いがあります。私は、悩みや心配ごとが起こったときが“自己実現”を求めている危険信号だと考えて、すぐに“神実現”へと心をリセットするようにしています。そうすると不思議とストレスが消えていくのです。
 この時に助けになる言葉は、マザーテレサ語録です。彼女は、自分が願っている方向へ物事が進んでいない時には、このように言いました。「神さまは急いでいらっしゃらないようですから・・・」経済的な問題と直面したときには、「お金なら大丈夫です。神のご意志なら集まります。集まらなかったら、主がお望みでなかったということです。」そしてこのようお話しされました。「誰もが天国に住みたいと思っています。しかし、今すぐにでも自分の心の中に天国をつくりだすこともできるのです。」
 これらの言葉の一つ一つを通して、神実現に生きるとは、どういうことなのかを、学ばせていただいています。神さまに全幅の信頼を持ってお従いすると、本当の本当にストレスフリーになります。是非ともこの世界を皆さまにも味わっていただきたいと願います。神に委ねるとは、「ベストを尽くして、結果は神さま(神実現)に任せる。」ことです。