ある賛美リーダーは、早くにお父さんを亡くしました。夜中に寝ている時、脳卒中で亡くなられたのです。お父さんのことを恋しがっていたお母さんは、その翌年、不幸が重なって詐欺にまであい、自ら命を絶ちました。立て続けに両親を亡くした彼を最も苦しめたのは、孤児になったことでも経済的に苦しくなったことでもなく、「神さまは生きておられるのか?」という疑いでした。「神は愛です」「全能の神」と聖書にあるのに、どうしてこんなことが起こるのか。どうしても納得できませんでした。聖書のすべてのみことばを疑いました。しかしある日、クリスチャンの集まりに行ったとき、そこで神さまとの深い出会いを経験しました。彼は倒れたお父さんを背負ってタクシーに乗る時も、お母さんの酸素呼吸器をはずす瞬間も、イエスさまが自分と共に泣いておられたことを知りました。すると、疑っていたすべての聖書の箇所が、みことばの中で解釈されていきました。彼は神さまのビジョンを持った牧会者になりました。みことばをこの世の論理で理解しようとすると、苦しいだけですが、深く心に思い巡らすなら、そこでいのちの道を見出します。その道で、神さまがあなたの味方になり、その理由を説明してくださるでしょう。(チョ・ドンチョン著「私の人生を変えた3つの質問」より抜粋)
 先日、ある方とのラインのやり取りがありました。その方は、今、大きな試練に直面しておられ、自分の願っている道とは別の方向へと追いやられている状況なのです。私も心痛めつつ祈ってきましたが、この方の文末に書かれた言葉に励まされました。「全ては私の不徳の致すところです。これからのことは全く分かりませんが、どんな結果になろうとも全て神の御心と思い受け入れる所存です。今は祈るのみです。こんな至らぬ私ですが、これからも宜しくお願い申し上げます。」
 教会には祈りのリクエストシートがあって、匿名でも受け付けてはいますが、ほとんどの方々が名前を書いてリクエストしておられます。毎日祈りながら思うことは、事の大小は違いますが、問題や悩みのない人は一人もいないということです。牧師は話を聞いたりカウンセリングしたりしますが、最終的にはその人の内にある“信仰”が、自身に解決を与えることになります。だからこそ人々の信仰を引き上げ、力の源であるみ言葉を伝え続けていくのです。
 「あなたの信仰があなたを救った」