私は、アメリカの大学に留学していたことがある。そこで勉強に対する姿勢に関して考えさせられたことがあった。
 それは私が3年生の時に、リサーチペーパーというクラスを受けていた時のことである。テストは、自分が書いた文章をタイプで打って提出するというものでした。その試験には提出期限があって、期限が1日遅れるごとに、一段階ずつ成績が下がっていくという厳しいものでした。私は、期限の当日までに手書きでペーパーを書き上げたのですが、まだタイプで打っていませんでした。そこで、タイプライターを持っている人を探しました。そして見つかったのは、同じクラスを取っている人だったのですが、親しいわけでもなく、話もろくにしたことがない人でした。彼の部屋で、一文字一文字ゆっくりタイプしている私を見て、「俺が打ってあげるよ。今日が期限でしょ・・・」と言って、私の原稿を取って打ち始めたのです。私は「君はペーパーはできたのか?」と問うと、「まだ」と言うのです。「えっ? それじゃ自分で打つから・・・」と言いますと、彼は「俺が打った方が早いだろうし、俺のは、その後打つから大丈夫!」と言って、結局2時間近くかけて打ってくれたのです。そして、何とか提出期限の時間までに出すことができました。後日、そのペーパーが戻ってきたときに、私のペーパーには5段階のうち“B”という成績が書かれていました。何気にタイプを打ってくれた彼のペーパーを見ると、なんと“F”(落第点)でした。私はそれを見たときにショックでした。「親切にしてくれたのに、当の本人は落第?」期限までに提出できなかったのかもしれません。私は申し訳なくて、彼に言葉をかけることはできなかった記憶が鮮明に残っています。
 その時から、私の“勉強”に対する姿勢が変わりました。勉強だけではなく、この世の中には、他者を蹴落として自分がのし上がるという社会構造があります。しかしパウロ流に言うならば、どんな地位や成績、能力があったとしても、もしそこに“愛”がなければそんなものはゴミ同然なのかもしれません。考えさせられた瞬間でした。God is agape.