徳川幕府の時代が終わりに近づいていた1853年、当時鎖国状態にあった日本に開国を求めやってきたのは、ペリーの率いる黒船艦隊でした。そのころ、キリストの福音を伝える宣教師たちも次々とやって来て、神奈川、東京、長崎にと各地で宣教を始めました。
ある日、東京湾の海の上を一隻の外国船が走っていました。一人の船員がデッキの上の手すりによりかかり熱心に聖書を読んでいましたが、急に涼しい風がサーっと吹いてきて、聖書をパラパラとめくり、あっという間に両手から離れて、海の上に落ちてしまいました。見る見るうちに聖書は船の後ろのほうに遠ざかり、沈まないで波間をぷかりぷかりと、浮かんでいます。青年は誰かの手に拾い上げられることを祈りました。
その聖書を海岸で発見したのは、九州佐賀の鍋島藩の家老であった村田若狭という侍でした。どうしてこんなものが海の上を流れていたのだろうと思いながら手に拾い上げてみると、ずっしりとした重い本でした。開いてみても日本の文字ではなかったので理解できません。彼がどんなことが書いてある本なのかを色々な人に問い合わせてみると、なんとその頃、読むことを禁止されていたキリシタンの本であることがわかりました。しかし何とかして内容を知りたいと思い、中国語を読むことができる若狭は、わざわざ家来を中国の上海に送って、中国語で書いてある同じ本を探させました。そしてやって手に入れたのが中国語の聖書でした。読みだすと、大変おもしろくて、くり返して読み続けている内に、この聖書について説明をしてもらいたくなり、長崎にいたオランダ人宣教師・フルベッキ博士から手ほどきを受けました。
そして1866年5月20日のペンテコステの日に、村田若狭とその弟の阿部三右衛門の二人が洗礼を受けました。この二人こそ、日本における最初のクリスチャンのグループの中に入った人たちなのです。若狭が1872年に召天するまで、その子供たちや、友人たち、家のお手伝いさんたちの多くが救われて、豊かな実を結んだという実話であります。
どんなマイナスも、必ずプラスになる神さまの計画があるのです。