「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(Ⅰコリント10章13節)
 この聖書の言葉に教えられることが3つある。一つは、自分が受ける試練や誘惑は、自分だけではないないということ。私たちは苦難を通ると、「自分はいつもこのような目に遭う」「自分だけが不幸だ」と思い込んでしまいやすいが、実は、あなただけではないということ。二つ目は、神さまは、耐えることのできない試練を与えることはない、ということ。試練は、必ずしも私たちの蒔いたものの刈り取りだけではなく、私たちの信仰のテストのため、また神さまの存在を気付かせるために、神さまは、あえて私たちが試練の中を通ることを許可されることがある。ヨブ記にも書かれているが、完全に倒れてしまうような苦難は与えられないのです。そして三つ目は、耐えることができるように脱出の道も必ず備えてくださいます。脱出の道は千差万別で、ある時には、他者を用いて助けられることがあるし、ある時にはある出来事を通して逃れることができることもあります。何の助けもないと感じる時に、神を信じる者の特権は、最後の砦があるということです。それは神の言葉を握り、神のみ翼の陰に逃げ込むことができるということです。
 中国のアリババ社の創業者であるジャック・マー氏は、有名大学を出たわけでも、IT分野を専攻したわけでない、貧しい家庭で育った平凡な英語教師でした。そんな彼が創業15年でオンラインマーケット世界第一位になった。彼の成功の秘訣は「お金、技術、計画」の3つがなかったことだったというのです。持っているものがないから、道が閉ざされるわけではありません。神さまは、エジプトで奴隷であり、裸の難民であったイスラエルの民を乳と蜜の流れるカナンの土地に導き入れられました。何もなかったからこそ、謙遜に祈り、神さまに頼る以外なかったのです。信仰によって生きることは、無限の可能性を引き出します。