聖書は、自分の“頑張りや努力”によって救いを獲得するのではなく、神の側の行ないによって救われることを教えている。私たちがすることは、神が行なわれた業を信じ受けとめるだけなのです。私たちは本来、創造主の計画と目的のために生きるよう造られました。しかし人は自分の願望と目的のために生きるようになりました。それが聖書の教える「罪(的外れ)」なのです。その罪から生み出されるものは不和や争いで、後は滅びが待っているだけです。そんな私たちの罪の代価を、神が肉体をとって地上に来られたイエス・キリストを通して、自らが十字架にかかって支払ってくださったのです。その事実を信じ受けとめることによって救いがきます。信仰によってイエス・キリストを受け入れたら、神の霊である“聖霊”が働きはじめます。聖霊が働きはじめると、不思議なことなのですが、今までの的外れな生き方に違和感を覚えるようになります。そしてそのような生き方はしたくないと思うようになるのです。本当に信じたら、この聖霊が私たちの内に、すぐ働き始められ、神の計画と目的のために生きたいと自然と願うようになるのです。
 聖書の記録によると、イエスさまの弟子たちは皆、師を見捨てて逃げてしまうような人たちでした。イエスさまが十字架にかかり葬られ甦られて天に昇っていかれてからは、迫害の大きいエルサレムで人目を避けるようにして、家の戸を固く閉じて怯えながら祈っていました。そうしていると聖霊が彼らの上に降り、それ以来、殉教をも恐れない大胆さと力が与えられ変えられました。多くの歴史学者たちは、この弟子たちの変化に疑問を感じるのです。何故、あの弱い小心者の弟子たちが、ある時期を境にして、こんなに力ある働きができるようになったのか?    
 それは“聖霊”によるのです。“信仰”がその人の中に入ると、“聖霊”が働き始めて、現状は変わらず、混乱の現実の中でも、不安が平安に、弱さが強さに、恐れが喜びに変えられるのです。それは自分の努力の結果ではなく、聖霊の実です。素晴らしいと思いませんか? あなたも受けることができます! ペンテコステ(聖霊降臨)おめでとう!