先日、日曜礼拝で、モーセ五書の学びを終え感無量だった。イスラエルの民がエジプトに移住して三百年も経過すると、イスラエルの人口が増加して脅威を覚えるようになりました。そこでエジプトは、イスラエルが力をつけないように虐げ、過酷な生活を強いるようになりました。挙句の果てはイスラエルに生まれてくる男の子を殺せとの命令を下しました。そこでモーセが生まれた時に、母親はカゴに入れて川に流し、何と「殺せ」と命じたパロの娘がそれを発見し、王宮の中で養い育てられるという不思議な神の計画が進められました。四十歳になった時、自分は“イスラエル人”という自覚を持っていたモーセは、ある日、同胞を苦しめていたエジプト人を殺しました。かばって助けたのだから、彼らは「モーセを通して神がエジプトの虐げから救い出してくれる」と悟ると考えていました。しかし実際には悟るどころか拒みました。そればかりか、エジプト人を殺したことがパロの耳に届き、モーセの荒野での四十年間の逃亡生活が始まりました。王室で育てられ、一流の教育を受け、体力も気力も申し分ないこの年齢こそ、イスラエルを導き出すチャンスでしたし、本人にもその自覚があったにも関わらず、その一番脂の乗った時期を荒野で過ごすことになったのです。そして八十歳になって、身も心も衰え始めた頃に、神さまから「イスラエルをエジプトから導き出せ」との御声を聴きます。その声に聴き従ったものの、二週間もあれば行ける目的地に四十年間も荒野をさまよい、人々からは「マナは飽きた、水が飲みたい、荒野で我々を野垂れ死にさせるのか? エジプトの方が良かった!」などと文句を言われ、脅迫され、散々な目にあい、結局、目的地の目と鼻の先まで来ていながら、モーセはその土地に入ることなく召されていきました。モーセ自身も失敗を経験しました。しかし、彼が召される前に書いた遺言書の結論は、「主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。」(申命記32:4)だったのです。彼は自分の人生を回想しながら、それを悟りました。神への信頼は、揺るぎない平安を与えます。