「わたしは四十年の間、あなたがたを導いて荒野を通らせたが、あなたがたの身につけた着物は古びず、足のくつは古びなかった。」(申29:5)
これは、私が申命記を読むたびに、いつも心の残る言葉です。そして、自分の人生を振り返った時に、「神さまはいつも私の必要を満たしていてくださっていたな~確かにそうだったな~」と思わされています。イスラエルの民は荒野という岩や砂漠しかない、食べ物も水もない場所で、天からマナが与えられ、岩から水が与えられ、衣服も擦り切れなかったことが、当然、当たり前、普通のこととして、それが日常化してしまうと、奇跡を奇跡とは考えることができなくなっていました。事実、彼らは「マナは飽きた! 水を出してくれ! 我々はここで死ぬのか? エジプトの方が良かった。神はどこにいるのか?」と不平不満を言いました。極めて身近なところで、毎日が奇跡の連続であったことを悟ることができなかったのです。
新型コロナウィルス騒動の中で、人間はなんと無力な存在なのかと感じさせられます。そもそも私たちは初めから無力なのに、神さまから与えられた恵みを“当たり前”だと感じて、自分の力で立っていると考えていたことが錯覚だということにどれだけの人たちが悟ることができたでしょうか? 元気なのに外に出ることができない、友人と会うこともできない、学校にも会社にも行けない…このような不自由さを経験して、今までの生活がどれだけ恵みであったかを思わされます。住む場所があり、着る服があり、食べることができ、会社に行けること、学校に行けること、教会へ行けることなど、どんな小さなことでも、実は、当たり前のようで、当たり前ではない、奇跡の連続だったのだな、と考えると、感謝しか出てこない。私は小さな存在で、ただ神さまの恵みによって生かされているということ・・・それだけで「感謝」と思える日々を送ることができるようになりました。これは私のStay Homeの収穫です。
「彼らを恐れ、おののいてはならない。主があなたと共に行かれるからである。主は決して見放さず、見捨てない。」(申命記31章6節)