旧約聖書のサムエル記上を読んでいると、興味深いことが書かれている。そこには、イスラエルの最初の王になったサウル王と、次に王となったダビデについて描かれている。それぞれ自分の部下をどのように得ていったかを見ると、「サウル王は力の強い人や勇気のある人を見るごとに、それを召しかかえた。」(Ⅰサムエル14:52b)とあり、ダビデはサウル王に追われて、ほら穴に逃れている時に、「しえたげられている人々、負債のある人々、心に不満のある人々も皆、彼のもとに集まってきて、彼はその長となった」(Ⅰサムエル22:2)と記されている。どちらかと言えば、サウル王の軍隊の方が、最強のように思えますが、ダビデに従った、どこにも採用されなかったような人たちが、後の日に「勇士」と呼ばれるようになったのです。
 神さまは、私たちの手持ちがあってもなくても、神さまが用いれば、それはどんなに弱小であっても、最強の働きをすることができるようにしてくださるのです。モーセは口下手で、数百万人もの民を導ける素質はなさそうでしたが、アロンという助け手が与えられて、神の計画は進められていきました。そんなことを考えていると、私たちの教会も、確かに神さまの御手によって、動かされてることを認めざるを得ません。
 私たちの教会は今年5月で教会開拓満10年になります。私は、インターネットやホームページ作成などの知識が乏しく、ネット放送など考えたこともなかったのですが、スタートして間もなく、その道の助け手が与えられるようになって、今では、YouTubeで、礼拝のライブとアーカイブを流せるようになりました。それに加えZoomを使ったライブ配信も同時に行ない、礼拝後に教会メンバーと対話もできるようになり、今後の可能性も含め、神さまの御業を見させていただいています。
 足りない部分があっても、それで悲観することはありません。神さまは必要であれば、必ずその足りない部分を補う誰かや何かを送り、状況を整えてくださるお方です。もし補われることがなければ、神さまは他の計画を考えておられるということです。
 「主の山に備えあり」(創22:14)