私たちは、視点を変えるだけで、救われることがあります。すなわち感謝しがたい中で感謝することを見出し、意味の見出しがたいところに意味を見つけていく姿勢を持ったら、かなり人生変わると思います。
 かつて私の娘が高校を卒業して進路を決めるときに、韓国のある大学に行くことを望んでいました。そこはしっかりした信仰に立ったミッション系大学で、授業も英語で行ない、就職率はほぼ100%で、韓国でも評判の学校でした。私も娘がそこに導かれているような気持ちになっていて、“自分の願い”が“神の御心”のように思えていたのです。親子共に、「主の御心が成りますように」と祈りながら、もうその進路以外は考えられない状況でした。しかし、結果は不合格でした。娘は泣いていましたし、私もガッカリしました。もう日本の学校の受験も終わっているし、もう行く場所がない状態で、私は少し神さまに愚痴をこぼしていました。しかしすぐに神さまからお叱りを受けたのです。「あなたは、『主の御心が成りますように』と祈りながら、どうして、そんなに悩み心配するのか? 不合格になって、他の道へ進むことを私が望んでいるのに、それを拒否するのか? あなたの娘にとっては、もっと良い道を開こうとしているのに、自分の考えや願いでそれを邪魔するのか?」私は、すぐに「そうでした。申し訳ありません。あなたに委ねます!」そして泣いている娘に言いました「これは神さまが、あなたとって、もっと良い道へと導こうとされているってことだよ。今はもうどこにも行く道がないように見えるけど、必ず開かれるから、安心していなさい! 主にあって何とかなるから大丈夫!」そして、神さまは不思議な方法で、別の韓国の大学を示してくださり、そこへの入学が許可され、そこでしか受けることができなかった祝福を沢山受けました。そして後になって、親子で「あの学校に落ちて良かった! やはり最善の道を備えてくださっていたんだね~」と話しています。
 私たちは、祈りが聞かれることよりも、聞かれる祈りに対して自分がそれを受け入れられる心の準備ができているか?が問われています。