先日、ある方との会話の中で、「今まで頭では分かっていたけれども、ある時、突然、リアルにそれを理解できるようになって、見かた考え方が変えられた」という趣旨のお話をされていた。私が教会開拓の初期のころ、「お店では、人々の目に見える実態あるものを提供して、お客さんが見て好みであれば、それを購入するというシステムが成り立つ中で、お店は、人が好む物、必要とする物を作るよう努力すれば顧客は増える可能性がある。しかし教会は、目に見えないものを伝え提供している。人がそれを信じ求めるようになるのは、至難の業だ」と思ったことがあった。しかしそんな中で「創造主なる神さまを信じたい」「イエスさまを信じてから、私の人生が本当に変えられました」という人たちが起こされていくと不思議を感じさせられます。なぜなら「牧師さんの言うことは分かるし、それが良いことだとも分かりますが、そうは簡単に信じることはできませんし、自分が変えられるなんて考えられません。自分のことは自分が一番よく知ってるのです。」という人たちに何人も出会ってきているわけですから。頭では理解はしていても、信じたり、自分が変わることは、なかなかできるものではないのが人間です。しかし、それが突然できてしまうのは何なのか?!
聖書の中に「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない。」(Ⅰコリント12:3)「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて・・・わたしの証人となるであろう」。(使徒1:8)とあります。ここから信仰告白や人の人生が変えられる背後に、“聖霊”の働きがあることがわかります。このことがわかると、私たちは人を信じさせようとか、変えてやろうと必死にならなくてよいのです。焦って失敗する人たちもいます。ただ私たちの使命は知恵をもって果たし、後は聖霊のお働きに任せるのです。クリスチャンライフは頑張るものではありません。神さまに委ねることなのです。枝は幹に繋がっていると自然と実を結ぶように、枝なる私たちが、幹なるキリストに繋がっていれば、それだけで実りある人生を送ることができるようになるのです。