先週の日曜日は、私の今までの牧師人生の中では、最悪の鼻詰まり、鼻声でのメッセージ。幸いにも熱は全く出ないが、早く一日が終わって欲しいと思うコンディションでした。しかし神さまは、そのような中でも主は生きて働いておられることを私に教えるかのようにして、いくつかの喜びを与えてくださった。その一つは、今年、成人式を迎えられる青年の祝福をお祈りすることができたこと。記念品を何にするか色々と考えていたが、なかなか思いつかないのでお祈りした。すると「聖書」と言葉が浮かんだ。該当する青年は、まだ教会初心者の方で、聖書で大丈夫なのかな?とは思ったが、私が中2の時に初めて手にした同じ大きさ、同じ訳の聖書をプレゼントすることにした。そして私が当時、救いに導かれた聖句「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの」(イザヤ43)を書いた時、私が救われたあの当時のことが走馬灯のようにして思い出された。あれから約40年が経過したが、今まで一度も後悔したことはないばかりか、クリスチャンでなかったら、あの時の困難をどうやって乗り切ることができただろうか?と恐ろしく思う。今は、「生きるも死ぬも主のため」という境地になって、何が起こっても毎日が嬉しい、おめでたい人になれたことに感謝している。成人者にこの恵みが届きますようにと祈らされた。そしてもう一つの喜びは、私の知らないところで、私の献身30周年と開拓10周年と誕生日をお祝いする計画を立ててくれて、綺麗なお花と、一人ひとりが手書きでお祝いの言葉や私の3つの良い点を書いた紙をアルバムにまとめて渡してくださった。読みながら先々週に引き続き涙腺崩壊(加齢のせい?)。そして献身の思いを新たにされました。そしてその日の午後礼拝後、一人の求道者とお話しをする中で、神さまからの促しがあったので、「イエスさまを信じたいという気持ちはありますか?」との質問に「はい、そう思っています」。一緒にイエスさまを受け入れるお祈りをして、天にある喜びがそこにありました。
 私に弱さがある時にこそ、主は力強く働かれます。それは「あなたではなく、わたしが導き働いているのです」と言われているようでした。