先週、一枚の不思議な年賀状を受け取りました。表面には、私の住所と名前、そしてその下に「お祈りありがとうございます。また〇〇に遊びにきてください」とだけ手書きで書かれている。ここまでは普通なのですが、裏面を見て驚きました。何も印刷されていないのです。まさに白紙状態。謹賀新年もなければ、差出人の住所もない。私は瞬時にこの年賀の目的を三通り考えました。①ただ単なる凡ミス ②いやがらせ ③あえて白紙にして深いメッセージを伝えようとした・・・表の「また〇〇に遊びにきて・・・」の〇〇には、地名が書かれていたので、心当たりある人物にメッセージを送ってみると、次の返信がきた。「なんということでしょう。失礼しましたー 百年に一度の大当たりでした・・・」。本来裏面には家族の写真と住所が印刷されていて、その画像を添付して送ってくれた。もし白紙の意味が③だったならば、私はこう考えたでしょう。「初心に戻って、ゼロ開拓のつもりで祈りつつ牧会しなさい!」
先週の「心のオアシス」に教会メンバーの男性が「正直うちの牧師は最高の牧師です。日本一の牧師です。霊性、情熱、練られた品性(謙遜とも言います)共にこんな素晴らしい牧師の元に集えることに神様に心から感謝しています。」とラブコールしてくださったこと、そして私は、そのような評価をしていただけるような牧師ではないのに、そう観てくださっていることに神の無条件の愛を感じた、という内容を書きましたが、それを読んだ何人かの人たちが、「私も同じ気持ちで代弁してくださって感謝です。」とのお言葉をいただき、涙腺崩壊しそうになった。もしこれを人間的レベルだけで受け止めたら、「嬉しい。関東から関西での開拓をチャレンジして良かった!」でおしまいですが、すべての人は、神さまから送られていると考える私は、これらの人たちを送って、私にメッセージを語られたのだと思わされた。人が増えると、安定と維持することにシフト変更しがちですが、私はそうであってはならないのだと思わされました。増えても減っても、神さまが送られてきた羊に「神は愛なり」をいろいろな形で全力で伝える。これが私の初心であり所信です。