以前にあるクリスチャンの方から聞いたお話しです。
それは立ち食いそば屋さんに立ち寄った時のことです。お店に入って注文して待っていると、後ろのドアが開いて、いきなり悪臭が店内に立ち込めました。何かと思って振り向くと、路上で生活していてドロドロの服装で、何ヶ月もお風呂にも入っていないような男性が店内に入って、カウンターの方へよたよたしながら近づいてきました。中にいた5・6人の男性客はみんな食べるのを中断して店の外へ出ていきました。その人も、臭いがあまりにも酷いので、すぐにその場を離れようとしましたが、その男性が手探りでカウンターまできて、何かを探しているようでした。目が不自由なのだとわかりました。「お箸ですか?」と問いながら、箸箱から一膳取り出して渡してあげて、すぐにその場から離れようと思った、その瞬間に心に響く声がありました。「あなたの心の方が、もっと臭いではないか・・・」唖然としました。そして自分の心を見てみると、他者に対する怒り、憎しみ、妬み、嫉妬、悪口、許せない心、悪い思いなどドロドロとした汚いものでいっぱいであることに気づきました。そして、そんな汚い、臭い自分の心の中に、聖なる清いイエス様が来てくださって救ってくださったことを考えると涙が溢れてきたそうです。他者に対して臭いと思っていたけれど、自分の心の方がもっと臭いことに気付きました。にも拘わらず、こんな自分の心に居続けてくださるイエス様のことを思うと、感謝でいっぱいになったとのこと。
私たちの内には、実は善なるものは、宿っていません。たとえ自分は他者より真面目に生きてきたし、他者に迷惑をかけたことはありません、と言う人がいても、それは神の前には義(罪なし)とは認められないのです。人が親切で愛していることができるのは、自分にとって益があり損がない間だけの期間限定であり条件付きです。
今から2千年前にイエス・キリストが、この地上に来てくださいました。それは私たちの罪を赦し、永遠のいのちを得るためでした。クリスマスは私たちに対する神の義と愛が全うされるための喜びの日なのです。