「幸せの条件」というタイトルが付けられた渡辺和子さんの文章です。
 人間の幸せというものは、必ずしも外から見ていくつかの条件がそろっているということではないと思うのです。確かに、ある程度のお金があり家に住んでいること、車とか電化製品、人さまが見てうらやむようなさまざまな物がそろっていることは幸せの条件になるだろうと思います。しかし反対から考えてみますと、あの人にお金もある、車もある、家庭もある、家の中には立派な調度品もある、衣装タンスを開ければ立派なコートも洋服もある、宝石箱を開けてみるとさまざまなネックレスや装身具がそろっている。だからあの方は幸せだと、私たちは決して言い切れないわけです。そういう物は確かにそろっていても、その方は非常に不幸せな方である可能性があります・・・ありがたいという気持ちを持ってお金が見られる人、ありがたいという気持ちで職場に勤めていられる人、ありがたいという気持ちで家族と接していられる人、そういう方たちが、結局、幸せをつくっている人たちだと言ってよいかと思います。
 本当に豊かに生きるということは、自分の周りにすでにある、当たり前のものをどれだけ「ありがたい」宝と見ることができるかどうかということなのでしょう。先週の礼拝前に私たちの教会の80代の長老様とお祈りをしていた時に、こう祈られていました。「神さま、最近は耳も遠くなり、目も見づらくなってきました。これらは神さまから貸し与えてくださったもので、やがてはお返しすることになりますが、この目を耳を体を貸してくださったことを感謝します。」役に立たなくなってきた目や耳に不平や不満を言うのではなく、“ありがたい”という気持ちを持って生きておられることに感動しました。堺チャペルの礼拝後の交わり会では、小学2年生の男の子が「みんなの笑顔を見ることが僕の幸せです!」と発言して、その場にいた大人たちを驚かせました。
人は、ガツガツ求めて生きなくても、誰でも簡単に“幸せ”を感じながら生きることができるのだと思わされた瞬間でした。