先週私たちの教会に、ラグビー界のレジェンド、元ニュージーランド・オールブラックス&サモイ代表のティモ・タガロア氏が来てくださり、体験談とHAKAを披露してくださった。彼の話をお聞きして印象に残った内容の一つは、名誉を受け有名人になっても、心の空白を埋めることはできなかったが、イエス・キリストによって満たされたということ。もう一つは、ある人が彼に質問しました。「ラグビーで3回も再起不能になるかもしれない大ケガをして、なおもラグビーを続けるのは何故ですか?」それに対して、「ケガや痛みもラグビーの一部なのです。それらも含めてラグビーを楽しんでいるのです。」との答えに驚きました。
私たちの人生も必ずしも順風満帆というわけではありません。逆境の時も、四面楚歌になることもあります。しかし、それさえも含めて神さまが私たちに与えてくださった“人生”なのだと考えると、少し楽になれるような気がした。そして神さまに委ねるとは、喜びも苦しみも全部をひっくるめて受け止めつつ前に進んでいくことだと思わされた。
ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁には、ひとりの患者さんが書いた詩が残されています。私はこの詩の深さに学ばされます。
大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。
偉大なことができるように 健康を求めたのに、
よりよきことをするようにと 病気を賜った。
幸せになろうとして 富を求めたのに、
賢明であるようにと 困窮を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いは、すべて聞き届けられた。
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りは、すべてかなえられた。私は最も豊かに祝福されたのだ。