作曲家のメンデルスゾーンが、ヨーロッパ最高のオルガンがあるという聖堂を訪れた時のことです。彼はオルガンを一度演奏させて欲しいと頼みましたが、聖堂の演奏者は断固として断りました。「このオルガンがどれほど貴重なものかご存知ですか? この貴重なものを、誰にでも弾かせることはできません。」メンデルスゾーンは、しきりにせがんだ末、ついに許可を得ました。彼の指が鍵盤の上を走る瞬間、これまで聖堂の演奏者が聞いたこともない美しく壮大なメロディーが聖堂を満たしました。後にメンデルスゾーンの正体を知った聖堂の演奏家は、こう言ったそうです。「あなたがあの偉大な音楽家メンデルスゾーンなのですか。偉大な音楽家にオルガンに触れさせないようにするとは、私は本当に愚かでした。」
 自分よりも能力のある存在に人生を任せることができるなら、何も心配したり恐れたりする必要がないだけでなく、さらに大きな希望を抱き、さらに大きな夢を見ることができるでしょう。重要なことは、自分の才能や実力ではなく、「誰をつかみ、何に拠り頼むのか」です。自ら波を起こすことができなくても、大きく強い波がきたら、格好よくサーフィンすることができ、自ら風を起こせなくても、強い風が吹けば帆を空高く揚げることができるのです。
 今、KCFの礼拝メッセージでは、創世記から学んでいます。兄弟の嫉妬からエジプトに売り飛ばされ、奴隷になり、冤罪で牢獄に入れられ、忘れられたヨセフの人生は下降状態。這い上がることなんて不可能な状況でした。しかし、彼は腐ったりせず、ただ自分は神の手の中にあることと、“神の時”を信じ、その時その時の状況を受け入れて進みました。そしてある日、神の指が動き、崩れていたような彼の人生のすべてが繋がるかのようにして、一夜のうちに囚人からエジプト全国の支配者になりました。神が共におられることを信じることは、日々の力となります。
 私たちのすべきことは、ただ神が私たちの人生を神の御心のままに演奏されるよう、その席を差し出すことだけなのです。