行き倒れの人を連れて帰ってきて手当てをしているマザー・テレサに向かって、「あなたのしていることは水の一滴のようなことだ。どうしてあなたは、もっと力のある社会に働きかけて、インドという国を良くしないのですか?」と尋ねる人がいました。その人に対してマザーは、「海の水も一滴の水から成り立っているのですよ」と答えたそうです。この言葉は、私にとって勇気と励ましを与える言葉となっています。
一匹一匹のアリの作業を観察していると、とても大きなことはできないように思えます。砂の一粒を運んでいるアリ、パンくずをどこかで見つけて運んでいるアリ・・・でも、その積み重ねによって、地中に深く穴を掘り、いくつもの部屋を作り、そこで食べて生きているのです。神さまの目から見るならば、私たちの毎日の生活は、どのように映っているのでしょうか? 自分は大きな仕事をしていると思っていても、もしかしたら、神さまの目には、小さな砂の一粒を動かしているほど小さく映っているかもしれません。また自分は何もできない小さな存在だと思っていても、知らない間に神さまの大きな御業の一旦を担わせていただいていて、神さまが応援してくださっていることだってありえるのです。たとえ小さな存在であっても、誰の目にも届かない小さな働きであっても、その存在がなければ、大きな御業は起こらないのです。
まさに聖書には、無名でありながら、イエスさまの働きに大いに貢献している人たちが多勢出てきます。国や社会を動かすことも、弱っている一人の人を助けることも、それは神の目には変わりないのです。そして、その存在とそれぞれの働きがなければならないのです。
私たちの毎日の祈り、生活、学び、仕事、何気ない会話も、小さなことですが、その積み重ねが、大きな働きへと変わるのです。教会は2千年間、コツコツと礼拝を守ってきました。しかし、それは今の時代の私たちにまで信仰の継承がなされるために大切なことでした。そして今の私たちの毎日が次世代へと続いていくのです。ありがとう!“平成”