昔、イギリスのある変わり者のバイオリニストが演奏会を開きました。友人をはじめ、観客がたくさん集まり、演奏が終わると、熱烈な拍手が起こりました。その瞬間、彼は演奏していたバイオリンを急に床に投げ捨てて足で壊し始めました。彼が再びもう一つのバイオリンを持ってくると、司会者が言いました。「今、彼が演奏したバイオリンは、実は20ポンドの安物でした。今から最高のバイオリンで本格的な演奏を始めていただきましょう。」今度の演奏もまた大きな感動を呼び起こしました。しかし、正直言って、観客はその2つの演奏に大きな違いを感じることができませんでした。この日、バイオリニストの奇行を通して観客に伝わったメッセージは、「偉大な音楽家が偉大な音楽を作り出すのであって、偉大な楽器が偉大な音楽を作り出すのではない」ということだったのかもしれません。
イエスは人を通して世を変えようとされました。イエスの公生涯は、イエスが用いる人を選ぶことから始まりました。しかし、その選択基準は、世とは全く異なっていました。イエスは、ガリラヤの漁師やさげすまされていた取税人のように、世の中で何一つ自分を誇ることができない人々を神の国の柱のような存在として用いられました。イエス・キリストは今も弟子たちを呼んでおられます。私たちに弱さや咎があっても、主の御手に捕らえられるなら、神の栄光が現れ、世が変わり始めるのです。(わかりやすく解いたマルコの福音書の話(上)/イ・ドンウォン著)
聖書的に言うならば、私たちは土の器のような存在です。離せば落ちて、落ちれば割れてしまう器であっても、誰の手の中にあるかということによって、その価値は変わってくるのです。イスラエルの民が40年間砂漠をさまよう中で生き延びることができたように、2019年は、是非、神の手の中にある安心を手にしていただきたいと願っています。たとえあなたが、神を知らなくとも、神はあなたを知っていて、一方的に大切に思っていてくださっているのです。良き一年となりますように。