【母のスープ】
夕方のこと。先月83才になった母が手製の野菜スープを抱えてやって来た。私がインフルエンザになってから毎日電話がかかり、何か出来ることはないか、看病に行くと言い続ける。先月同じB型に罹患しているので移らないとは思うがやはり心配だし、こちらは薬を飲んで寝ているしかなく食欲も無い。起きるのも辛い状況で正直なところ来たら、かえってこちらが気が休まらず大変なのは目に見えている。心配はわかるが大丈夫だからと断り続けていたが、とうとう今日は強行手段(?)に出たか、「いま野菜スープを作ったから、出来立てを持っていく」と言う。
 これは断れないか、という思いと、もしかしたら母の作ったものならば食べられるかも知れないという予感がよぎり、タクシーを手配するからそのタクシーでそのまま帰るんだよと約束させ、小一時間後、小さな母が手持ちの一番大きな鍋を抱えてやって来た。入学したての小学生がランドセルを負ってか負われてかおぼつかない足どりになる、正にそんな様子で鍋を大事そうに抱きしめて。多分、元気のない声だけでは心配だったのだろう、娘の顔を見て安心したようだった。年齢と病気で出来ないことも多くなった母だが、母親としての本能と人の役に立ちたいという気持ちは消えていないのだと思った。野菜スープはやはり懐かしい、母の味がした。日々のなかでは色々あるが、やはりいくつになっても母はありがたい。(大和CC Y.M.)
 
 数ヶ月前にフェイスブックに投稿されていたこの文章に感動したので、許可を得て「母の日」のために温存していました。母親の愛は、多くの場合、自己犠牲的であると思います。イエスさまは十字架で死んで墓に葬られてから、3日後に甦られました。そのことを知らないマグダラのマリヤは、御使いに言いました。「どこに遺体を置いたのか教えてください。わたしがそのかたを引き取りますから、」一人の小さな女性が、どうやって運ぶのでしょうか?“愛は重荷を感じない”のです。母親の姿に神さまのご性質が表れているように思います。お母さんありがとう!