1945年9月27日、昭和天皇がただ一人の通訳を連れて、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの前に立たれたことは、ご承知の通りであります。日本が敗戦し、アメリカは天皇陛下に対して戦犯として裁く準備をしていました。その日、陛下がアメリカ大使公邸に訪れ、マッカーサーの前に出たとき、直立不動のままで、国際儀礼としての挨拶を終え、こう言われました。「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行われました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります。しかしながら、罪なき国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」この言葉に、マッカーサーは驚きました。昭和天皇は命乞いに来たと考えていたからです。自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした国王が、世界の歴史上あったでしょうか? 
 マッカーサーはこの時の感動を、『回想記』にこう記しています。「私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに、天皇に帰すべきではない責任までも引受けようとされた。この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」
 日本の戦争の過ちは、反省すべきです。しかし国民を思う天皇陛下の姿勢には感動します。今、教会で学んでいるモーセも、「イスラエルの罪の身代わりになるので、民を赦してください」と神さまに懇願して執り成しています。しかし、天皇陛下やモーセ以上に私たちに救いの道を整えてくださったお方がおられます。そのお方はイエス・キリストです。イエスさまは、神の恩赦を受けることをせず、私たちの罪の贖いとして実際に十字架にかかり、私たちの身代わりになってくださいました。