牧師は、毎週聖書からメッセージしますが、聖霊のお働きがなければ、人の心が動き、変えられることは難しいと毎回考えさせられています。それゆえに、勿論、御言葉を語ることにおいては全力投球しますが、それ以上に祈り備えます。牧師がメッセージを語る前から、救いや癒しが起こるケースを今までに何度も見てきています。確かに神さまの指が動かなければ、私たちが何をしようと、本当の変化を見ることはできないでしょう。それだからこそ、祈り備えなければならないのです。
 最近ある方が、「いつも『自分が、自分が・・・』と、自分がしなければならないと思っていましたが、聖霊さまに委ねることを学んでから、全く生き方が変わりました。」とお証しされていました。またある方は、「夫の良い部分が今まで見えませんでしたが、良い部分が見えるようになりました。」など、祈りを通してなされる不思議を体感しておられ姿に私が励まされました。まだ数回しか教会に来られたことのないある方は、「メッセージされる先生の背後に、神がおられるのが見えました。」と発言され、私自身も襟が正される思いをしています。私も人前で話をすることが苦手な者ですし、雄弁でもありませんから、今でもメッセージ中に自分の姿を客観視して驚きと感動を覚えることが度々あります。これは神さまの働きがなければできないことなのです。
 「“自分の弱さ”に気付けば、“神の強さと働き”に気付くことができる」「祈りは、すべての問題を解くカギである」「万事は益」「生かされている者すべては、神の選びと愛が必ずある」「神はあなたをアガペー(無条件)で愛しておられる」「神の視点から自分を見る」「私たちの人生は、神実現のためにある」「ベストを尽くして神さま任せ」これらは、私のライフメッセージです。関西カルバリーフェローシップにいる限りは何十回、何百回も聞かされる内容だと思いますが、聖霊がこれら一つひとつを教えていってくださることを切に願い祈っています。

 「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」