以前に見た感動した映画の中にこのようなものがありました。
 それは、生まれた時、お医者さんが驚いたほど小さく、一晩ももたないだろうと言われた赤ちゃんが、12歳になったときからの話が中心的に展開していくのですが、彼は、両親からは見放され、完全に無視された環境の中で成長していきました。身長は12歳にして96センチにしかならなかったのですが、野山を駆け巡り、湖で泳ぎ、野球もする少年に成長していきました。彼はいつも「神様は何か理由があって僕を小さくしたに違いない」と信じて、特別なプランが神様から与えられる日を待っている・・・という内容で、最後には、神様が彼を小さくした理由がわかる日がくる・・・という結末で終わる映画なのです。
 私たちは、あまりにも無駄なエネルギーを消費しながら生きています。自分の置かれた環境や、身の回りにある問題や弱さや、世の中の不条理、歪な人間関係によって苦しみ、傷つけられ、心が痛むのです。ある方が、世間の「不条理」といったものをしっかり受けとめながら、しかもそれを「人間の条件」として受け入れていくと、非生産的なエネルギーをより少なくすることができるとおっしゃっていました。この十字架ともいえる「人間の条件」は、誰が与えたのか?という疑問が出てくるが、これは“神”という私たちを創造された存在を抜きにして考えることができない発想である。私は「神に主権がある」ことを受け入れることができたら、この世で、どんなに割り切れないことがあっても、すべて解決できると思っています。実際に、それを受け入れてから人生が楽になりました。一喜一憂することはあっても、それによって振り回されることはなくなりました。死でさえも怖くありません。すべて、どんな人にも、神さまの目的があって、特別なプランを用意してくださっていることを信じることができたら、ハッピーライフは、もうあなたのものです。
 
 「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8章28節)