心理学者カール・ユングによると、人が生まれて40年間は、いろいろなことを見いだし、征服する時期だそうです。それまでは、すべてが可能性として残っています。しかし、中年を過ぎると、人生の地平線の向こうが見えはじめます。青壮年期の情熱と力がいつしか消え、歳月と世に征服されたような気持ちになります。私もやはり、10代の息子たちと一緒に運動すると、自分の瞬発力や闘志が以前のようではないのを感じ、驚かされることがあります。息子たちはそんな私に「お父さんももう年だね。無理しなくていいよ」と言ってくれますが、それは全く慰めにはなりません。高校卒業40周年記念の同窓会で、「ただ老いに向かってひたすら走ってきたようだ」とつぶやいていた同窓生たちの言葉が今も耳に残っています。(「たましいの冬に歌う希望の交響曲」より引用)
私の家から生駒山を眺めることができます。春はピンクの山桜が緑の山の合間に散りばめられ、新緑から深い緑に変わると夏になり、秋には紅い色に、冬は所々枯れ木となりますが、それがまた味わい深く楽しむことができます。一年を通じて暑い日も寒い日もありますが、神さまは四季を与えて、それぞれの季節を楽しむことができるようにしてくださいました。私たちの人生は、老いや衰え、弱さに向かっているように思えますが、それぞれのシーズン、時代の中で、神さまからの召しと選びが与えられていて、無意味な年齢はないことを知れば、どの時節も楽しむことができると思います。
“ひと見るも良し ひと見ざるも良し 我は咲くなり”とは、武者小路実篤の言葉です。人が見てくれようが、くれまいが、褒められようが、無視されようが、他人の評価に左右されないで「私は咲く」という潔さは、「神」という存在を抜きにしては、なかなか考えることはできない発想であります。2018年、どんな時も毎日を、喜びと感謝と平安で過ごせますようにと心よりお祈りいたします。
「受けた召しと選びを確かなものにしなさい。」(Ⅱペテロ1章10節)