テレビのトークショーにゲストとして出演した女優が、このような告白をしたそうです。映画の中で、彼女が雨に濡れるシーンがあるそうですが、ふつうに雨が降っている日に映画を撮ることはありません。晴れた日に散水車を使って主人公の周りだけに水を降らせて必要なシーンを撮るのです。よく晴れた日に彼女はただ一人雨に濡れて演技をしているのに、他の人たちは晴れた空の下で仕事をしているという・・・その時、自分がこれまで生きてきた日々がオーバーラップしました。他の人たちの人生は日が当たって幸せそうなのに、自分は一人苦難の雨に打たれていることを考えながら憂うつになり悲しくなりました。しかし、突然、監督が「カット!」と言ってサインを出すと、雨が上がるではありませんか。彼女は「雨が降る憂うつな日も、悲しみと落胆の中にあるときも、神さまが『カット!』と言ってサインを出されれば、私の人生も逆転するのだ」と思ったそうです。
 役者は与えられた役を、どのように演技するかで、その役柄が評価されるのであって、他の役柄をうらやんだり嫉妬したりしても、何の益にもならないのです。私たちは神のご計画の中で、それぞれ与えられている環境や能力、役割や賜物は違いますが、一つの召しのために生きるように造られているのです。私たちに委ねられていることは、与えられている役柄に、精一杯生きるということであります。
 私たちの人生にも、思い通りいかないことや、願いとは違う方向へ導かれたり、他の人とは違う道を通ったりすることがあります。しかし、それは、神様の壮大なご計画の一部分を、私達がそれぞれの召しに応じて担わせていただいているということなのであります。神さまが、この世界の歴史の脚本家であり、総監督です。私たちそれぞれに違った役柄が宛てがわれています。私たちの召しは、全力で与えられた人生を走りきることです。天国で、地上でのすべての謎が解き明かされるでしょう。
 「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益としてくださる」(ローマ書8章28節)