アメリカのテレビのニュース番組の中でハリケーン通過によって洪水で被災した人たちへのインタビューされる様子が映し出されていました。被害者の人たちの多くは、不平不満でした。内容は、政府の対策が遅すぎる・・・エアコンが水に浸かり壊れて暑くて大変・・・下水が溢れて臭い・・・病気が蔓延している・・・など、厳しい現状に対する描写でした。そんな中で、耳を疑うようなことを言い始める女性にインタビュアーがマイクを向けました。「何か問題はありますか?」しかしその女性は輝いた顔をして言いました。「いいえ、問題はありません。みなさんが助けてくれて、命守られ、家族も守られ、健康でいることができることを嬉しく思っています。」ちょっと拍子抜けしたインタビュアーは、「この真夏にエアコンがなかったら大変じゃないですか?」と、何とかして今の厳しい現状を伝えるために誘導質問しました。しかし、この女性は、小脇に抱えた聖書を指し示しながら言いました。「いいえ、私の家は全部流されましたから、エアコンどころではありませんよ。でもね、洪水は家を流すことができても、この神の言葉がある限り、私の内にある平安と喜びと希望を流すことはできません!」
 衝撃的な言葉でした。この女性は気が変になったのではありません。絶望の中でも、幸せを見つけ、そこに喜びを感じているのです。これが信仰の力なのです。私たちは願っている方向へ物事が進まいこともあるでしょう。イライラも起こるでしょうし、苦しく、泣きたくなることもあるでしょう。誰でもそういう所を通過します。しかし、あのマザーテレサは、そんな時、こう考えました。「私たちは急いでいても、神さまは急いでいらっしゃらないようですから・・・」「お金? それなら大丈夫です。神のご意志なら集まります。集まらなかったら、主がお望みでなかったということです。」「誰もが天国に住みたいと思っていますが、今すぐにでも自分の中に天国を創りだすこともできるのです・・・」
 これらの言葉は、背後に神さまに対する信頼がなければ出てくることはないでしょう。信仰が入ると人は驚くような力を発揮します。