ある女性が結婚して、子供がほしかったのですが、なかなか赤ちゃんが与えられませんでした。その為に長い間、辛い不妊治療を行なっていました。しかし最終的にお医者さんから、「これ以上のことは無理です。諦めてください」と言い渡されました。このご婦人は、ガッカリして落ち込んで、何日も泣いていました。そんなある日、子供がほしいということに執着するのは止めようと思いました。なぜなら自分の願いばかりに執着していたら、それによって振り回されて自分の人生を台無しにしてしまうことを悟ったからです。彼女は、神様が自分の願いとは違う計画を与えてくださっていることを受け止めるようになりました。そして今まで縛られていた思いから全く解放されたのです。彼女がたまに自分の赤ちゃんが欲しいという願いを思い起こしたときは、いつも「神様の自分に対する計画は、自分の願いとは違う」と、頭を切り替えることによって、乗り越えることができるようになりました。それからしばらくして養子を受け入れて3人の子供たちの母親になり、今、喜びの人生を送っておられるとのことです。
 幸せというのは、自分の願いが叶うときにくるものではないのです。多くの人たちは、結婚すれば幸せになれると思い、ある人は、お金があれば、学歴があれば、仕事があれば幸せになれると思います。確かにそれらのものを手に入れたら、一時的な安らぎや喜びや満足感を得ることはできるでしょう。しかし、すぐに不足を感じるようになり、次なる不満足にその喜びは無くなり不幸せだと感じてしまうのです。
 イエスさまは、「剣を持って、今の現実に抵抗しないで、神様がわたしに下さった、この出来事を受け入れるべきではないか、飲むべきではないか」と、ローマ兵に逮捕された時に弟子たちに説き伏せられました。
永続的な幸せは、神様のご計画に任せるときに、その瞬間、その時に来るものなのです。状況が私たちを幸せにするのではなく、私たちの心の姿勢が、私たちを幸せにも不幸にもすることができるのです。
 「悲しんでいる人たちは、さいわいである」(マタイ5章4節a)