明治の義人と言われた田中正造氏が、「人は、神に愛育されて、愛の心にあふれる」と言いました。教え育てることを「教育」と言いますが、愛し育てる「愛育」によって、人は愛の心にあふれるというのです。確かに教育によって「愛」の定義を教えることはできるかもしれませんが、愛の心を養うためには、愛情に溢れた人格に触れなければ育ちません。  
 聖書に登場するザアカイという人物は、取税人でありました。当時の社会では、取税人はローマ帝国が徴収する税金を取り立てるのですが、決められた額以上に徴収して、それを懐に入れて私腹を肥やしていることで知られていました。ユダヤ人でありましたが、ローマ帝国に加担していたので、ユダヤ人の中では村八分にされるような嫌われ者でした。しかし、味をしめてしまうと、自分がアブラハムの子孫であることは、わかっているけど、辞められなかったのです。ある日、イエスさまが村をお通りになられた時、「ザアカイよ、今日、あなたの家に泊まることにしています。」と声をかけられました。彼にとっては信じられないできごとです。ユダヤ人たちからは、煙たがられ、嫌われ、一緒に食事をする人は誰一人いませんでした。今、人々が注目し、人気を集めている、あのイエスさまが家に来てくださるというのです。彼は急いでイエスさまを招き入れて、一緒に食事をしながら、その愛と人格に触れただけで愛の人に変わってしまったのです。ザアカイは宣言しました。私の財産の半分を貧民に施します! 不正に取り立てていた人たちには4倍にして返します!」 
 私も似たような体験をしたことがあります。アメリカ留学時代に、アルバイト先のボスが、私を特別扱いし、愛と親切を注ぎ続けてくださいました。私のような者に、そのようなことをしても何の得にもならないのに一方的に愛してくれたのです。私は指導されたわけではないのに、心に変化が起こりました。それはボスの下で働くからには、自分のためではなく、ボスのために働こう!と。それは、人は無条件の愛に触れ受け入れると変わることができる!と、思った瞬間でした。栄光在主。