フィリップ・ヤンシー先生の著書の中からの抜粋です。
 ジャン・ピエール・ド・コサードは、「毎分、毎秒の中に神の国があり、御国の糧を含んでいる。だから、どうでもいい瞬間は存在しない」と何度も強調しています。神はすべてのことを通して働かれます。「聖なることかどうかを問うのではなく、その中にある神の御手を求めなければなりません」と繰り返し主張しています。それだけでなく、時間そのものが神の働きなのだといいます。時間は「神の働きを記録する歴史」であるからです。「今立っているところで神を求めなさい」という教えはいつでも嬉しいものではありません。未来の瞬間は、挑戦的であり刺激的で、報いは大きいだろうと考えながらも、「今」という時間に捧げるべき礼拝を、ただ無視してしまいたいことがいかに多いことでしょう。しかし、覚えておかなければならないことは、主が恵みを注いでくださる場所は、まさに今立っているところなのだということです。

 私たちは、自分たちの輝かしい未来の祝福を求めるために神さまに近づく傾向にあると思います。私たちの問題の解決を求め、救いを求め、癒しを求め、平和を求め、経済や人間関係の回復など、未来に対する良きものが与えられることを神さまにお願いします。ですから“今”を神さまに感謝し、賛美することは、なかなかできないのです。まるで今は祝福も恵みもないかのようにして「私を祝福してください! 恵みを与えてください!」と求めるのです。しかし、苦しみから逃れ、安心が与えられた時だけに神さまが恵みを注がれておられるのではなく、実は、解決へのプロセスの途中にある困難、孤独、痛みの只中で、すでに驚くばかりの恵みを注ぎ続けてくださっているのです。私たちにとっての無駄で無意味のように思われる時間は、神さまにとって最も重要な時間であることを悟るべきでしょう。私たちの頭で“今”を理解できなくても、後でわかる神さまのご計画が必ずあります。最終的には、「天国」において、すべての地上での不明な点が一つの線で結ばれるのです。
栄光在主!