映画にもなっている「ベンハー」を書いたルーウォーレスという文学者は、無神論的運動をしていた人物でした。彼は5年間もの月日をかけてキリスト教を研究し、「キリスト教撲滅論」を書こうと考えました。しかし、彼の心から離れなかったことが二つあったというのです。その一つは、「どうしてあの軟弱な弟子達が、ある時期を境にして強くなったのか?」もう一つは、イエス様が十字架上で「父よ、彼らを赦してください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」この告白がいつも心に引っかかっていました。そしてルーウォーレスが「キリスト教撲滅論」の第2章を書いていた時に「我が主よ、救い主よ」とキリストを受け入れ、彼が「キリスト教撲滅論」を書くために研究に費やした5年間の全てを注いで「ベンハー」の小説を書きました。自分の個人的体験を、中心人物のジュダ・ベンハーに託して、世界に自分が救われた証しとして発表したのであります。
 イエス・キリストが今も生きて働いておられることを、どうしたら人々に伝えることができるのでしょうか? 一番の方法は、主によって変えられた私たちが、その証人として、証言するということです。目撃者が証言することが一番効果的で説得力があるのです。神さまは当事者ですから、いくら「神」だと主張をしても信ぴょう性が疑われます。それを払拭するには、神さまによって変えられた人々が、体験をお分ちするしかありません。弟子たちがどうして変えられたのか? 私たちがどうして変えられたのか? それは理屈ではわかりませんが、確かに人を自分を変えてくださった方がいて、それは「神さま」だと告白できるのです。
 そして自分を十字架につけた人々に「赦し」を宣言できるのは何故なのか? ある先生は「聖なる損」をすることを通して可能だとおっしゃっておられます。葛藤や言い争いが起こったとき、損をしようと決めるなら、神さまの驚くべき祝福を経験するというのです。主は「損をしてごらん。わたしがもっと素晴らしいもので満たしてあげよう」と約束してくださっています。主にある人生には、驚くばかりの恵みがあります。