何年も前に一人のクリスチャンの女性が何年も前に天に召されました。そのご主人が書いた文章の内容に、大変心打たれたのでご紹介します。
 2008年6月上旬、突然、左腕の痛みを訴え、MRI検査の結果、左肺に大きな影があることが分りました。その後の検査の結果、全身6箇所の骨格に多発性の転移も確認され、医学的には末期という診断でした。抗癌剤が一切効かず、日々症状が進み、体力、身体機能が衰弱し、昨日できたことが今日はできなく、歩くことも、食事をとることも手足を動かすこともできなくなり、会話の自由も困難になりました。この肺がんの末期症状の残酷とも思える現実に対して、一切、不平不満、辛さ、弱音など言いませんでした。それどころか「感謝します。皆さんのこれほどの大きな愛に囲まれて最高の人生です。ありがとうございます」など、お見舞いに来てくださる方の祝福を祈り「みなさんに出会えたことは私にとって最高でした。永遠に一緒だからね!」と苦しい息遣いの中、笑顔で微笑み、か細い声で言っていました。余りにも過酷な症状に対し私が「神様はどこを向いているのか、君を癒してくださらないのはどうしてですか」と思わず口から出てしまったとき「そういうことは言わないで。神様はいるのよ!神様はいるのよ!」と真剣な表情で私を優しくいさめてくれました。本当に息苦しい呼吸の中、か細い声での最後の言葉は、「神様、感謝します。最高です。ありがとうございます。ありがとうございます。主イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」
苦しみの極みの中、どうしてこんなことが言えるのでしょう。それは家内が本当にイエス様の愛を知り、かつ経験していたからでしょう。家内の聖書への書き込みからも明らかです。「たとえ神が私を絶望させたとしても私は神に信頼する」と書き込みがありました。見事な信仰の勇者、勝利者でした。

 「それでも主に信頼します!」このような告白をしながら歩むなら、違う世界が開かれていくでしょうね。私もそう告白し続けていきたい!