私が以前にお導きしたR.M.さんのブログから抜粋してお分ちします。
 
 僕が大学時代、聖書研究会に所属していた時に書いた「証集」を紹介します。以下は大学3年生の時に僕が書いたもの。
 聖書研究会の活動に参加して3年目になりますが、最近、クリスチャンが多いサークルに3年もいてよく今までクリスチャンにならなかったなあなんてよく言われちゃいます。聖書の冒頭にはいきなり”初めに神が天と地を創造した”なんて書いてあったりします。そんなこと言われても、神様?そんなのいるのかよって思っちゃうよね。聖書を読んでいくとどうやらこうゆうことらしい。キリストが十字架にかかったのは僕の罪のためで、僕にはキリストを信じる以外に救いの道はない。そうでなければ僕は滅んでしまう。聖書からは読めば読むほどに信仰を持っていない僕にとってはまずいことばかり出てくる。これではクリスチャンにとっての恵みが僕にとっての滅びの証になってしまう。もちろん神様なんていなければ何の問題もない。でも、いないなんて確信はもてない。ひょっとして聖書のいう万能の唯一なる神がいるとするならば聖書に何の矛盾も見いだすことはできない。でも結局は自分自身で納得できない、理解できないことはどうしても真実としては受け入れられないのかも知れない。だいたい3年もいてなんて言われたって、僕にとっては、まだ、たったの3年である・・・
 うーん、なんだか本当に恥ずかしいです・・・。結局、僕はこれを書いた12年後にイエス・キリストを罪からの救い主として受け入れ、受洗しました。一時は、聖書なんかに時間を費やして、自分は一体何をしていたんだろうって思ったときもあったよ。でも、こうしてクリスチャンになって振り返ってみると、大学時代、聖書研究会で過ごした4年間の日々がとんでもない勢いで輝きだしたんだ。僕の人生の原点と言ってもいいかも知れない。今、苦しみの中にある人、挫折感や絶望感の中にある人。暗闇の中にあっても、どんなに辛くても、今、自分が見ているものに目をそらさずにしっかり見ておいてほしい。神様は、未来だけでなく、過去さえも、全部変えてくれる力を持っている。無駄?絶望?とんでもない!将来、「今」が光を放つ時がきっと来るよ。