昨年召された渡辺和子さんが、ある方に出されたお手紙を紹介します。
 お便りを書いてくださって、ありがとうございます。あなたの「負けずぎらい」が、ある意味であなたを苦しめているようですね。私にもそういうところがあるので、少しわかるような気がします。あなたは小学校の教師になりたいという幼い時からの夢を、高校入学直後、心臓が悪いということで、あきらめなければならなくなった時のショックについて書いていらっしゃいます。・・・(中略)「仕方ない」と頭ではわかっていても、つらくてつらくて仕方がなかったのですね。そして大学に入学して、今度は中学校の教師なら体育をしなくていいからと志していたのが、また膵臓炎、胃炎、胆嚢炎を併発して、この夢もあきらめざるを得なくなり、一度ならず二度までも行く手をはばまれ、人生の敗北者となり、笑顔を失ってゆく自分であったと書いていらっしゃいます。つらかったことでしょう。自分が希望するものを次々にあきらめてゆかねばならないつらさと、他人が着々と目標に近づいてゆくのを見守るつらさ・・・神さまは不公平だとお思いになったのも当たり前です。でも、あなたの偉さは、そういうつらさを味わった後に、次のように書けるところに到達したことにあります。「今日の私にたどりつくまでには、右に曲がり、左に曲がり、本当に複雑で、険しい道を歩みました。でも、そのおかげで、人生というものについて真剣に考えることができたのです。“それまでの私がいいかげんな生き方をしていたから、神さまが私に反省を促すために病気という贈物をくださったのかしら?”最近では、そんなふうに思いもします」
 あなたは「私は、私の世界を生きればいい」ということに気づいた時、心の整理ができたのです。そうなのです。あなたには、他の友人のように、旅行の思い出、スポーツの思い出、コンパの思い出はないかもしれない。病院での日々、闘病しながらの苦しい勉強の日々の思い出しかないかもしれない。でも、それが他の人にないあなた独自の思い出だと気づき、いとおしく思えるようになった時、道が拓けたようですね。

 私たちの人生で、最も重要なことは、何ができたか、できなかったか、ではなく、自分にしかない人生をいかに生きたかということなのです。