ある山中に住んでいた人が、叔父さんから黄色い靴をプレゼントしてもらいました。しかし、うっかり片方を川に落としてしまいました。靴は下流へと流れていきます。彼は靴を探すために川沿いを下りはじめました。長時間、靴を追いかけましたが、見つからないばかりか、とうとう道に迷ってしまい、家に帰ることができませんでした。靴を探し続けて長い年月が過ぎ、老人になった彼は、生き別れの家族を捜すテレビ番組に出て、大粒の涙を流しながら、その時の状況を説明しました。すると、ちょうとその時、番組を見ていたお兄さんが弟だと気づき、テレビ局に連絡しました。こうして家族が再会することになったのですが、その時には、母親はすでに他界し、年老いた父親は認知症を患い、50年ぶりに会った自分の息子を見分けることができなかったそうです。
多くの人が、黄色い靴のような、何でもないものを追い求めているうちに、本当に大切なものを見失っています。人は、人生で最も大切なものとして、お金、名誉、権力、健康、仕事などを挙げますが、それらは私たちの人生に必要なだけで、絶対的なものではありません。本当に大切で絶対的なものを知るのは、死を前にした時、つまり神のさばきの前に立った時です。ですから、私たちは普段から死を見据える目を開かなければなりません。そうすれば、後悔しない生き方ができます。神のさばきを意識する人は、人生の最も大切なことを失うことはないでしょう。
(「私は死んでイエスによって生きる人」ユ・ギソン著より)
私たちの教会では、現在毎日曜日、「人生のカラクリ発見」というシリーズで聖書から学んでいます。私自身も聖書を学びながら、歴史全体を通して、その時代時代に、神さまが様々な仕掛けをしておられ、それが数千年してから絶妙なタイミングでリンクしていくというカラクリに唖然としています。明らかに人間業ではない、人間にはできない、はるかに人間を超えた、もの凄い力に全ての歴史が動いていることを認めざるを得ないのです。良きも悪きも神の手の中にあって、関係なく神さまのご計画が着々と進められていること、そして何ものもそれを止めることができない現実に恐れを感じます。私たちが的外れなものを求め続けていたら、不安と恐れしか残らないでしょう。でも、最善をしてくださる神さまを信じ委ねるなら、限りない平安がくるのです。ハレルヤ!