第二次世界大戦が終わった後、日本で天皇陛下が人間宣言をしました。それまでは天皇は神だとされていたのですが、本当は人間なのだと宣言したわけです。その後、天皇が日本の各地を廻ったことがあります。昔は神だと言われた方が自分たちのところに来てくれた、ということで当時の住民は大変感激したそうです。しかし、天皇陛下が通られる場所は、修繕されて綺麗にされました。例えば道がでこぼこだったらそれをきれいに直し、汚い場所があったらお金をかけて綺麗にするのです。ですから、実際の庶民の姿や生活は隠されました。社会の一番底辺で生きていた人々にとっては、本当の意味で天皇が自分のところに来てくれたのではなかったのです。
 イエス・キリストが、人間の救いのためにこの地上に来て下さったとき、王様の子供として生まれて、きれいな楽な道だけを歩んで、すぐに帰られたのではありませんでした。貧しい大工の息子として生まれ、苦しみの生涯を送られ、最後には死まで味わわれた。そこまで降りてきて下さったのです。イエス様は、貧しさを経験しました。支援する人もいませんでした。同胞であるユダヤ人からは邪魔者扱いされました。サタンの誘惑、攻撃に遭いました。ローマの税金は非常に高い時代でしたが支払われていました。自由は全くなく、生きていける保証などありませんでした。ナザレという田舎の出身で、何の期待もされませんでした。教育も受けられませんでした。拒絶、誤解、軽蔑、裏切りを経験され、生涯独身で通されました。父親を早くに失う経験もしました。そして、聖書に「キリストは全ての病を負った。」とあるように、全ての病を経験したといっても過言ではないでしょう。だからこそ、試みにあっている人や、病の中で苦しんでいる人、悩んでいる人を思いやることができるのです。「天のお父様、あの人は今、様々な試練の中にいます。私もそこに立たされたことがありますので、理解することができます。どうぞ天使を送って力付けてあげてください!」誰からも理解されなくても、イエスさまだけは、あなたの全てを理解し、執り成していてくださるのです。だから、どうぞ落ち込まないでください。たとえあなたが祈る力さえ失っても、イエスさまは、あなたのために執り成して祈り続けてくださっているのです。