ある村から、一人の若者が隣の村に住むために移動していました。
 途中で一人の老人に会いました。この若者は、この老人に聞きました「私が今から行こうとしている隣の村には、どんな人が住んでいますか?」老人は、それを聞いて逆に問いました「あなたが住んでいた、あちらの村には、どんな人が住んでいましたか?」すると若者は言いました「あの村には、もう二度と入りたくありません。とても不親切な人ばかりで、嘘はつくし、友達なんて一人もできませんでした。とんでもない村でしたよ・・・」そうすると老人は答えました「今からあなたが行こうとする村も、同じような人々が住んでいますよ・・・」30分ぐらいして、前の若者と同じ村から別の若者が出てきて、やはり隣の村へ行こうとしていました。その若者は、途中で老人に出会いました。そして前の若者と同じ質問をしました「今から隣の村へ行こうとしているのですが、そこにはどんな人々が住んでいるのですか?」老人は逆に質問しました「あなたが住んでいた、あちらの村には、どんな人が住んでいましたか?」そうするとその若者は言いました「あの村には、本当に良い人たちばかりで、親切な人たちばかりでした。親しい友人もたくさんできました。とても名残惜しいのです。」そうすると老人は言いました「今からあなたが行こうとする村も、同じような人々が住んでいますよ・・・」
 この話は、私たちの心の目の状態によって、その人の人生は大きく変わるのだということを教えていると思います。

 アメリカの有名な発明王トーマス・エジソンは、「失敗すればするほど、我々は成功に近づいている。失敗なんかしちゃいない。うまくいかない方法を700通り見つけただけだ。」と言いました。この地上という同じ土俵の中で同じ境遇の中にいても、幸せだと感じる人もいれば、不幸せだと感じている人もいます。考え方一つで、私たちは人生の途中の辛いプロセスさえも楽しみながら生きることができるのです。
 「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」(聖書)