按手を受けて間もない若い牧師が、ある教会に赴任したそうです。そこで、受け入れ教会では新しい牧師を歓迎する晩餐会が開かれました。ある信徒がその新任牧師に近づいてきて、このように質問したそうです。「先生はなぜ、700人にもなる人々の要求を満足させなければならないような、辛い仕事を引き受けられたのですか?」すると、その牧師はためらわずに答えました。「私がこの教会に来たのは、700人を喜ばせるためではありません。ただひとりの方を喜ばせるために来たのです。神さまが喜ばれるなら、残りのすべては自然にうまくいくでしょう!」
 私はこの言葉に「アーメン!」と同意しました。関西カルバリーフェローシップの開拓伝道に対して、ほとんどストレスを感じることなく、むしろ楽しく7年目を迎えることができたのは、ここがポイントだったのではないかと思わされています。もし、私が能力のある牧師であったならば、思うようにいかない現実に挫折してしまうこともあったでしょう。幸いなことは、能力はない、自信もない、経済力もなかった故に、神さま任せにできたということです。自分がすることは、自分が持っているベストを神さまに捧げること。そこで神さまが成されている現実を受け止めるということ。起こっている現実に、多少の感情的な浮き沈みがなかったわけではありましたが、いつも原点に戻ると楽になりました。目の前の会衆が2、3人であることが何ヶ月続いても、神さまが送られてきたこの人たちを感謝するようにしました。少しずつ人数が増えてきたのに何らかの理由で他教会へ移動されるような人たちがでたときには、「神さまが、この人たちを必要としている教会へ動かされているのだ」と思えば、瞬間に割り切ることができました。礼拝は現在約50名の方々が集われるようになりましたが、人数を気にするようになったら牧師として失格だと思っています。たとえ10名に減ったとしても、1名しか残らなかったとしても、神さまのためにベストのご奉仕を続けられるかということだと思います。私たちがそれぞれの場所で、各自が神さまから委ねられたことをしっかり果たすなら、その人生は成功なのです。