新年明けましておめでとうございます。
皆さまのお祈りに支えられ、開拓伝道7年目に入りました。今年も主のご計画の中で導かれていくことを切に願っています。
お祈りに覚えていただければ幸いです。神さまの祝福を心よりお祈りいたします。
関西カルバリーフェローシップ
牧師 小崎淳広 協力伝道師 道本賢司
一人の女の子が書いた感動の実話を紹介します。
おじいちゃんは老いてから手足が不自由でトイレも1人では厳しい。だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしていた。おばあちゃん以外の人が下の世話をするのを嫌がったからだ。ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。おじいちゃんと留守番してると申し訳なさそうに「モモちゃん、悪いんだがトイレに…」と言った。私は本当に馬鹿だなって思った。おじいちゃんは、一人じゃトイレに行けないことを知っていたくせに気が付いてあげられないなんて・・・孫、それも女の子には言いづらかっただろうなって。トイレに行くとパンパースが小と大で汚れていた。たくさん我慢させてしまった。私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。お風呂場で体を洗ってパンパースつけてホッとした。同時におばあちゃんは毎日これをしてるんだと思うと何とも言えない気持ちになった。そして「悪かったね、ありがとう」って五千円をくれようとした。おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。おしめを変えて育ててくれたのは貴方・おじいちゃんじゃないですか。幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。あれは無償の愛でしょ? 私はおじいちゃんが大好きだよ?だからお金なんかいらないんだよって言った。2人してちょっと泣いた。(「無償の愛」より引用)
この世の中には“条件付きの愛”が溢れています。夫婦の愛、男女の愛、師弟愛・・・どれも自分の好みでいる間や、自分の益になっている間は、受け入れ愛することができますが、条件が整わなくなったら、気分次第で簡単に切ることもできます。私たちの安息は、無条件(無償)の愛の中にのみ見出すことができます。そこには裏切りも恐れも不安もありません。今年は安定した神の愛の腕の中で過ごしませんか?「神は愛なり」