南アメリカの多くの少数部族の中には、30歳にも満たないままで死んでしまう、大変寿命の短い部族があるそうです。学者たちが、原因を調べてみると、土で造った塀に生きている虫が原因であることがわかりました。その虫が毒素を出すので、その毒素を吸いながら住む人々は正常に生きることができないのです。学者たちは、彼らに生きる方法を3つ教えました。その一つは、殺虫剤を使って虫を無くすこと。二つ目は、虫が住んでいる塀を壊すこと。三つ目は、別の所へ移住することです。
 しかし、この部族は殺虫剤もまかず、塀もそのままにし、移住もせず住み続けています。彼らは、変化を恐れ、自分の先祖からそのように生きてきたので、自分たちも同じように暮らしたいと言って、以前として短命の道を歩んでいるそうです。
これは変化を恐れているのか、それとも怠慢なのかのどちらかです。一歩前進することに苦痛を伴うこともありますが、その向こうには、より良い生活が待っているのに、それをしたくないというのです。

 医学の専門家が言うには、アルコール依存症患者が自分は依存症だと認め、自由と心の平静に対する強い健全な欲求をもったときには、その人はすでに51%まで癒されているというのです。その人が自分の姿を正しい方法で心に描くにつれて、体がそのようになっていくというのです。そのような、問題解決の達成に対する強い健全な欲求の心を持ったら、依存症による震えや喉の渇きなどは、自動的に消えていくそうです。しかし、癒されることを望まない依存性患者には、そのような現象は起こらないということもわかったそうです。
 
 私たちは、より良い自分を思い描き、そのような自分になるように努力する必要があるということだと思います。それは聖書が教える人間の在り方なのです。永遠の世界における「救い」は、イエスさまがしてくださった行ないを受け入れ信じるだけで与えられます。私たちの側は、何もする必要はありません。しかしこの地上での生活における様々な問題解決には、「努力」が必要となります。パウロは、「行ないによって救われることはありません。しかし、問題解決のためには、努力しなさい」と勧めています。そしてその努力も神実現のためであるなら、神さまが実現してくださるし、走ったことも労したことも、無駄にはなりません。