母親をとても憎み、うらんでいる、ある一人の受刑者がいました。その母親は、彼の幼少期に実家に預けたまま再婚してしまったそうです。彼は永い間「母親は俺を捨てて再婚するような冷たい女だ」と思い込んでいました。ところが、刑務所の独房の中で、そういった色々なことを考えているうちに、ふと、こんなことを思い出したそうです。小学校4年の頃、再婚先の母親を訪ねたことがありました。母親は、新しい夫に「太郎が来たから、こずかいやろうよ」と言って硬貨を一枚夫に見せて承諾をとってから彼に渡しました。帰り道、よくよく硬貨を見ると、一枚だと思っていた硬貨が、そうではなくて2枚だったのです。そのコインは、ご飯粒でつけてあって、はがそうと思ってもガチガチにくっついていたそうです。彼は帰り道にあった田んぼの水につけて硬貨をはがしました。こんなことを思い出しているうちに、涙が出てきました。「俺を捨てて再婚したと思ったけど、いつも心の中で俺のことを思い、俺が来るのを待っていてくれたんだ… 飯粒がガチガチになっているのを思うと、相当前から待っていてくれたんだな。新しい夫に気兼ねをしながらも、こっそり2枚もくれたんだ。母は、俺のことをいつも考えていてくれたんだ」その時以来、彼が今まで考えていた母親のイメージは急変し、彼の生き方そのものが変わったそうです。
 現実は何も変わらなくても、私たちの心の持ち方次第で、ハッピーライフに変えることはできるのです。同じように私たちの持っている「神」概念を変えると、新しい世界が広がります。私たちは、苦しみや悩みを取り除いてくれるのが、「神」だと考えています。誰がそう教えたのでしょうか? ただ人間が、そういうものを求めている故に、そのような神を造り、神はそういう存在なのだと勝手に決めつけているだけなのです。
 聖書の教える神の概念は、私たちの都合通りに動いてくださるお方ではなく、神の都合で動いておられるお方であるという認識を持つと、かなりの数の「何故?」がなくなると思います。そして神は私たちに最善をしてくださるという信頼が、委ねるという信仰に繋がっていくのです。