数年前に、アメリカ・アリフォルニアの海岸で一隻の豪華ヨットが沈没する事故が発生しました。沈没する直前、海岸救助隊にSOSが入り、救助隊の通信員が返信しました。「すぐに救助に向かいます。現在のポジションを教えてください。」すぐへ返事が返ってきました。「私は有名な〇〇銀行の頭取だ。」そこで返信が途絶え、結局ヨットは沈没してしまいました。実は英語では、「ポジション」という言葉には二つの意味があって、一つは「位置」、もう一つは「地位」です。ヨットの男性は、「あなたの位置はどこなのか?」と場所を聞いたのに、「地位は何か?」という立場を聞かれたと勘違いしたようです。いくら意味を取り違えたといっても、そんな緊急事態に地位や立場が、何の役に立つというのでしょう? 自分がどこにいるかが重要なのであって、名誉や財産は、男性を助けることはできないのです。この世で生きる上では、ある程度の地位や立場があれば、住み心地は良いかもしれません。しかし、それをもって永遠の世界に入ることはできません。
 先日、同窓生との会話の中で、「教会には弱い人が行くものだと思っていた・・・」という話題が出て、一人のクリスチャンが、「教会に行くまで、私もそう思っていたし、自分は強いと思っていたけど、教会行ったら、実は自分は弱い存在だったんだ、ということに気づいた。」と話していました。自分が何でもしていると思っていると、必ず疲れてしまうでしょう。でも、自分を生かし、使ってくださっているお方(神)がいるんだということを知ったら、もっと人生は楽になるでしょう。頑張る力を与えられていることに感謝。能力が与えられていることに感謝。でも、疲れてしまったら休めのサインだと受け止める。神さまがあなたの人生を支え、保証してくださることを知ったら安心です。
 所詮、この世の中、頑張っても数十年の人生です。一時的なことに一生懸命になる前に、永遠における解決をしておけば、この世における問題は問題でなくなります。「永遠における解決」、それは神との和解です。