私が小学生の時に、学校の先生からこのような話を聞きました。それは、「水の中でおぼれている人を見つけたら、しばらくそのままにしておきなさい。そして力尽きた時に、手を出すのですよ。もし、溺れている人が自分の力でなんとか助かろうとバタバタやっている時に他の人が手を出すと、しがみついてきて自分までも溺れてしまうから危険です。溺れている人が、自分は駄目だと思い、もがく力も失ったときに、初めて手を差し伸べることができるのです。」というお話しでした。
 私がクリスチャンになってから、これは神さまの救いの法則にも適用できる例話だと思いました。私たちが自分で何とかできると考えている間は、神さまが入る余地がありませんが、自分の力では、どうすることもできない自分に気付き、降参した時に、神さまが出動してくださり、希望の光を見出すことができるのです。この真理に目が開かれた人は、神さまが満たしてくださる世界を体験していくのです。
 あのマザーテレサは、このような祈りをしておられます。
 主よ、私は信じきっていました 私の心が愛にみなぎっていると。でも、胸に手を当ててみて 本音に気づかされました。私が愛していたのは他人ではなく 他人の中に自分を愛していた事実に。主よ、私が自分自身から解放されますように。
 主よ、私は思いこんでいました 私は与えるべきことは何でも与えていたと。でも、胸に手を当ててみて 真実が分ったのです。私の方こそ与えられていたのだと。主よ、私が自分自身から解放されますように。
 主よ、私は信じきっていました 自分が貧しい者であることを。でも、胸に手を当ててみて 本音に気づかされました。実は思いあがりとねたみとの心に 私がふくれあがっていたことを。主よ、私が自分自身から解放されますように。
 主よ、お願いいたします。私の中で天の国と この世の国々とがまぜこぜになってしまうとき あなたの中にのみ 真の幸福と力添えとを見いだしますように。