私が最近、考えていることは、私たち一人一人の毎日、瞬間瞬間は、神さまの奇跡の連続であるということ。勿論、神さまの側では、それは「奇跡」ではなく、「業」であろうと思います。私の人生を振り返ると、必ずポイントポイントに、色々な形で助けてくださった人たちがいました。ずっとお付き合いをしているわけではありませんが、一時的にでも、その人がいなければ、どうなっていたかわからないようなことが沢山ありました。どう考えてみても「偶然」という言葉では片付けられないようなことが多々あります。あれもこれも神さまの奇跡と考えるならば、世界観が変わってきます。
 こんな話を聞きました。あるとき、駐車場で混み合っていて、駐車スペースが全然見つからなかったそうです。そこで、じれてしまって、思わず神さまに文句を言いました。「神さま! 停める場所を下さったら、これから、毎週礼拝に出かけますよ!」ちょうどその時、目の前で、車を動かそうとしている人が見つかりました。すぐさま、その場所に車を停めることができました。すかさず、こうお祈りしたそうです。「神さま。大丈夫です。お気になさらないで。今、場所が見つかりましたから!」神さまは、心躍るような素晴らしい体験は、数多く与えてくださっているはずです。しかし、私たちはそれを「ラッキー」の一言で片付けてしまうのです。人間中心の罪の世界に生きていますから、必ずしも良いことばかりが起こるわけではありません。しかし神さまは、絶妙のタイミングで門戸を開いてくださいます。私たちの人生で起こる一つ一つのことは、神さまの指揮棒さばきで、奏でられているのです。「私は、子供の更生のために2年間も祈ってきましたが、まだ何も起こりません」「経済の祝福のために祈っていますが、実際の収入は減る一方です」このような声を耳にすることがありますが、恐らく神さまが全ての物事の背後で、指揮棒を振っておられることを、ご存知ないのだと思います。目に見える形が何もないからといって、神さまが働いておられない訳ではないのです。目に見える部分は氷山の一角にしか過ぎません。神さまの働きは、その何倍もあるのです。