修道者になってから50年以上になりますが、その間、傷ついたことも、心に痛みを覚えたこともないといえば、嘘になります。よかれと思って、してあげたことに対して、「ありがとう」のひと言もないどころか、かえって悪者にされた時が、何度あったことでしょう。「飼い犬に手をかまれた」思いも、一度ならず味わいました。思い切り仕返しをしたいと思ったこともあります。それをしないですんだのは、幼い時から、相手のレベルに自分を下げてはいけないという、母の教えのおかげであり、「許しなさい」という、キリストの言葉でした。仕返しをしたら、どんなにスッキリするだろうという思いもありましたが、一方、したらしたで、今度は、相手を傷つけたことからくる心の痛みを、味わわなければならなくなることを、苦い経験から習いました。自分の心の痛みを癒すためには、まずは、「思いを断ち切ること」が大切です。いつまでも傷にこだわっていると、その間、私は相手の支配下にあります。人間ですから、きれいに断ち切ることは不可能です。しかし、許すことで、相手の束縛から自由になれるのです。
 まだ若く、洗礼を受けて間もない頃、ある方が教えてくださいました。「あなたの心が痛みを感じるのは、茨の冠をかぶったイエスさまが、身近においでになる証拠なのですよ。血が心から流れているとしたら、それは、十字架上のイエスさまのみ傷の返り血だと思いなさい」傷つけられる時にこそ、イエスさまは近くにいてくださる。私の痛みと流す血は、イエスさまのおそばにいる証拠。そう思う時、傷ついても傷んでもいいと思えるようになりました。
(渡辺和子著「傷ついた時こそ心を輝かせるチャンス」より)

 私たちの人生の問題の大半が「人間関係」であると言っても過言ではないでしょう。そしてその問題の根源が「自分自身」だと言われます。わかってはいても、見栄やプライドで固められた自分を変えることは、なかなか難しい・・・最後に残される希望は、それでも見捨てずに傷つきながら愛し続けてくださるイエス・キリストです。