ある青年が、沖縄のクリスチャン陶芸家、松田先生の窯元に行った時に、このような説明を受けたそうです。
土には性格があって、言うこと聞かない土を、使えるようにするまで、かなりの時間をかけます。山で、光を見たことのない土を掘り出してきて、洗って根やゴミを取り、沈殿させ、そして、こねて、寝かせて、また、こねての作業・・・。これを「土殺し」と呼ぶのです。手の中で、ぐるぐるということを聞かない土のわがままを殺します。そうしなければ、陶器師が疲れてしまうからです。だから、一番土を作ることに時間と労力を使います。不純物が入っていたら、焼いた時、そこから割れてしまいます。
ある時、松田先生が神様に聞いたそうです。「なぜ、人間を土から造ったのですか?」そうすると神様が、「それは、土は再生できるからだよ。やり直しができるから。」と言われました。先生は、それを一番知っていたから、本当に感動したそうです。土は焼いても、砕けば、また土に帰ります。
ひとつひとつの作品に、どれだけ愛情をもって、大切にしているかということが伝わってきた・・・という感想を、説明を受けた青年は述べていました。そして、どうして聖書の中に神様が陶器師として登場するのかが、よく理解できたとのこと・・・

神さまは、この人生という舞台の上で、私たちを、こねては寝かせ、こねては寝かせしながら、私たちの人格を作り上げ、信仰を育てながら、完成へと向かわせてくださっているのです。そして私たちを、忍耐と寛容と愛をもって、待っていてくださっています。この地上は天国予備校のようなもので、さまざまなテストを乗り越えながら、天国人として相応しくなるための訓練を与えてくださっています。まだ未完成である私たちを、善人であっても悪人であっても、神さまは待ちながら、用いて、神さまの計画を完成へと向かわせておられます。