ある女子大生が、夏休みが明けたある日、先生にこう言ってきたそうです。「この休みの間に、私の人生に穴が開きました」話はこうでした。思いがけず婦人科の手術をしなければならないことがわかり、手術を受けました。手術は成功でしたが、あとで医者から、子供が産めなくなったかもしれないと宣告されました。それを聞いて非常にショックだったのは、結婚を前提に付き合っている男性が、大変子供好きだったからです。隠しておこうかとも思ったそうですが、いつかはわかることだからと覚悟を決めて打ち明けました。するとその男性は、話を聞き終えた後、優しく「心配しなくていいよ。僕は、赤ちゃんが産める君と結婚するんじゃなくて、『君』と結婚するのだから!」そこまで話してから、その女学生は泣きました。そしてこう言ったのです。もし、私の人生に、この穴が開かなかったら、結婚しても一生、相手の誠実さと愛の深さを私は知らないで過ごしていたかもしれません」この学生は、自分の人生に開いてしまった「穴」のおかげで、穴が開くまで見えなかったものを見ることができたのでした。大小さまざまかと思いますが、傷ついてみて初めて見えてくる世界があり、失ってみてわかるありがたさがあり、病んでみて初めて育まれることがあります。
「他人を救ったが、自分自身は救わないのか?!」これはイエスさまが十字架におかかりになった時に、人々が投げかけた言葉でした。でもこれは栄誉あるののしりでした。イエスさまが、この地上に来られた目的は、自分を救うことではなく、人々を救うためだったのです。人々は、「十字架から降りて来い」と叫びました。しかし、イエスさまにとっての奇跡は、降りることはできても、あえて降りることをされなかったところにあるのです。自分のために生きている私たちにとっては、到底理解することができないことです。私たちを生かすために、イエスさまの十字架があるのです。イエスさまの十字架の愛のみが、私たちの人生の穴を埋めることができるのです。もしあなたが墓穴のような暗闇にいても、安心してください! イエスさまは3日後に墓から甦られました!