あるところに大きな橋がありました。それは長くのびていて川にかかっていました。この橋は、一日何度も上がったり、下がったりして汽車や船を通していました。ある日、交換手が準備していて、時間がきたので、遠くの方を見ると汽車が見えました。スイッチを押して橋をおろして向こう岸につなげようとしましたが、なんと、その日は機械が故障していて、何度やっても動きません。信号も赤に変わらないのです。このままいくと、汽車が橋に衝突して、川に落ちてしまいます。この汽車には、たくさんの人が乗っています。しかし、この交換手は、このような緊急事態には、どう対処すれば良いのか、わかっていました。線路の反対側に、レバーがあって、それを手動で下げて橋を降ろすことができたのです。汽車の振動は近づいてきました。交換手は、必死に走って、そのレバーの所まで行って下げて、橋を降ろすことができました。丁度、その瞬間に「お父さん!」と、5歳になる自分の息子が走ってくるのが見えました。「こっちに来ちゃ駄目だ! もどりなさい!」と叫びました。しかし、その小さな子供の耳にはお父さんの声は入ってきません。子どもの足では、とうてい線路を渡りきることはできません。彼は、レバーを離して子供を助けに行きかけた時、橋がまた上がり始めました。その時、彼は大きな決断をしたのです。汽車は何もなかったかのように、その橋を通過していきました。誰一人として、その子供が死んでしまったことに気付きませんでした。そして、そのレバーに、しがみついて何時間も泣きつづけている父親の姿に、気付く人は誰もいませんでした。
もし、この人の経験したことを理解しようとすれば、きっと天のお父様が、滅びに向かう私たちを助けるために、ご自分の一人子なるイエス・キリストを、天国への橋渡しのために犠牲にしてくださったことが、わかるかもしれません。イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりになってくださいました。それが十字架なのです。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3章16節)