私(佐々木炎牧師)の教会では、クリスマスに向け、トルストイの書いた「靴屋のマルチン」の劇を行うことになった。内容は・・・靴屋のマルチンは、ある夜、キリストの声を聞く。「マルチンよ、明日、あなたのところに行くよ」次の日、彼は期待して待っていた。でも、いっこうに来ない。彼は窓から雪かきをしている老人が見えたので、老人を家に招いて温かいお茶をふるまった。次に赤ちゃんを抱えた貧しい母親が通り過ぎるのを見て、彼は上着を与えた。次に通りすがりにおばあさんのカゴからリンゴを奪おうとした少年を見て急いで、少年と一緒におばあさんに謝った。夜になりマルチンは、キリストに会えなかったことに落胆する。その時、昨夜と同じようにキリストの声を聞く。「今日、私はあなたを訪ねた。あの老人も、あの母親も、あの少年も、みんなわたしだったのだ」・・・練習を重ねて本番を迎えた。拍手喝采で終わった。後片付けをしていると、教会のドアが開いた。父親の手を引いた一人の少女が立っていた。父親が事情を話した。「昨年妻が亡くなり、私たちは父子家庭になりました。今年は寂しいクリスマスになると思っていましたが、この子がチラシをいただき教会に行こうと誘ってくれました。でも仕事が入り、こんな時間になってしまいました。わがままを承知の上なのですが、この子のために、劇をやっていただけませんか?」私は早速、メンバーに事情を説明した。しかし大人たちは無理だと親子を帰してしまった。それを知ったキリスト役の小学生が大きな声で劇のセリフを大人に向けて叫んだ。「貧しい人、悲しんでいる人、苦しんでいる人、困っている人、そのような人たちの中にわたしはいます」そしてこう続けた。「本当のキリストが来たのに大人は帰したんだ・・・」私は急いで外に飛び出し、キリストを探したが、もう暗闇に父子は見つからなかった。どん底でクリスマスを迎えた彼らこそ、キリストは救い主になるために命をかけて生まれてくださったはずなのに、その希望を伝えるべき私は何をしたのか・・・私は人目をはばからず泣いた。(中原キリスト教会) 

 是非、イエスさまをお迎えして最高のクリスマスをお過ごし下さい!