先週、イエスさまの弟子選びの基準について学びました。イエスさまが選ばれた弟子たちを見るならば、その基準がわかるはずです。エルサレム大学へ行って、成績優秀な生徒を選んだのでもなく、一流企業へ行って、実力のある人をヘッドハンテイングされたのでも、面接をして品行方正な人を選んだのでもありませんでした。まず、ほとんどが学歴のない人たちで、気性が荒く、すぐに感情に流されてしまう人もいました。疑い深い人もいます。人格欠損ではないかと思われるような人物もいました。理解力のない人たちが大半でした。おまけに会計係には盗人を採用されました。イエスさまは弟子を選ぶために、夜通し祈られたと書かれていますが、一体何を祈られたのでしょうか? 明らかに、「神よ、能力のあるスーパーマンのような人を選ばせてください!」という祈りではなかったことは確かです。恐らくこのような祈りであったでしょう。「主よ、この世が計画するような成功を、私が計画することがないようにしてください。この世の中の権威者が選ぶような基準で、人を選ぶことがないようにしてください。主の御心がなされますように!」
 イエスさまは祈りが終わってから、山を下りると何十人も、ついてきていた人たちが集まってきましたが、出会う人出会う人に声をかけられ、出会った順番に12人を選ばれたと想像します。すなわち、ごく普通の人たちを選ばれ、その存在そのものに目を留めておられたのでしょう。

  小学生時代に、人前で発表することができなかった私が、何故、牧師として選ばれたのか不明です。何度も神さまを裏切るイスラエルの民を選民として選ばれたのか? アブラハムは、異教徒であり、自分の奥さんを妹だと偽って王に与えようとしたり、奴隷女から自分の子孫を残そうとしたりの問題児でしたが、何故、イスラエル民族の父として選ばれたのかも理解不能です。これは神秘です。しかし、この問題だらけの12人の使徒たちを通して、今や全世界に福音が広げられていったのです。
 ごく普通の人である私たちに希望があります。あなたも神さまの選びの中に入っているのです。「あなたはわたしの目には高価で尊い」(聖書)